杉山シゲルの自己紹介

1 シゲルっていったい何者??

はじめまして。
杉山茂(すぎやま しげる)です。

3歳の息子&同い年の奥さんと3人で明るく楽しく暮らしています。

僕は「初心者から始められるインターネットビジネス」をテーマに

◼️技術や趣味の実績を収入に変えたい
◼️実績は無いけど収入を増やしたい
◼️家にいながら仕事をしたい

という人向けのサポートを仕事にしています。

 

具体的には「まず時給を10,000円以上にしてみよう!」という感じですね。
こんな言い方をしたら「なんか凄そう」と感じるかもしれませんが、いたって普通の一般人です。

月給13万円の会社員時代を乗り越えて、趣味やビジネスの知識を使い、今ではパソコンひとつで家庭を十分支えられるレベルまで稼げるようになりました。
現在時給15,000円以上に設定して働いています。

金銭的にもだいぶ余裕が出てきたので、今では自由気ままに生きていますが、ここまで来るのはなかなか大変でしたねぇ。

 

ここでは自己紹介をさせていただきますので「僕がどのようにしてビジネスで稼げるようになっていったのか」

そして「なぜこのサイトを作り始めたのか」といったことを色々お伝えしていきますね。

「いや、そんなこと聞いてないけど」というところまでお話していきます〜!

注)最後にプレゼントがありますので、そちらもお忘れの無いようご確認ください。

 

2.小さな頃はとんでもない人見知り

僕は今では「ビジネスの先生」としてコンサルをしたり、色々な方々と楽しくお話をさせていただくのですが、幼稚園ぐらいの頃は本当に人見知りが激しかったんですよ。

僕にとってはお菓子を買うことすらひと苦労でした。

 

近所の駄菓子屋に行くと、当たり前ですが買い物をしている子供達がいますよね。
それに気付くと僕は店の横にある民家の塀に身を隠すのです。(その民家は誰の家か知りませんが)

そして、その隙間からずっと店内を覗いて様子を伺うんですけど、今考えると凄く怖いことしてました(笑)
当然監視されていることに気付かない子供達は、和気あいあいと話しながらお菓子を買っているわけですが、僕にとってはその時間がとても長く感じるんですよ。

更に新たな子供達が買い物に来たりもするので、僕は30分ぐらい塀の中から監視し続けることになります。

 

このように、なんとか人のいないタイミングを見計らって買い物をしていたんです。
自分の買いたいお菓子なんて決まってますから、駄菓子屋の滞在時間なんて5分以内なんですけどね 笑
今考えても当時の僕はひどいものでしたよ。

 

3.小学生時代に母子家庭となる

僕はもともとちょこっと貧乏な家庭で育ちました。

父はペンキ屋で正社員として働き、母はパートで働くといった感じですね。
ただ、小学校に入学して間もなく父が末期のガンであることが発覚し、半年ほどで亡くなってしまったのでした。

そこから母が女手一つ、パートで働きながら育ててくれたのですが、たぶん当時はわりと貧乏だったんですよ。
でも僕は途中まで自分が貧乏だということに気付きませんでした 笑
こういうのって、友達の家に遊びに行った時とかに気付くものなんですよね。

そんな小学生時代のお話からです。

 

4.貧乏だと気付いた瞬間

小学生になると色々な友達ができるじゃないですか。
そうすると、友達の家へ遊びに行くことになるんですけど、そこで格差に気付いてしまうわけです。

 

4-1.まず家がキレイ!!

家の中が散らかっているとかではなく、外壁とかそういう話になります。

友達の家は普通の家だったんですけど、僕の家はトタンの家で「昔ながら」みたいな感じだったんですね。
家の塗装はちょこちょこハゲてるし錆びてるし、みたいな感じでした。

自分の家の周りもそういった感じの家が多かったので、それが当たり前だと思っていたんです。
なぜか友達の家はほぼ100%キレイな家でしたねぇ。

 

4-2.トイレの違い

現在の世の中では当たり前すぎる話なんですけど、友達の家は水洗トイレなんですよね。

でも、僕の家は違ったんですよ。
汲み取り式ってやつで、いわゆる「ぼっとん便所」と呼ばれるものでした。

学校のトイレが水洗なのは「学校はお金をかけているから」だと思っていたんですが、ただ単純に僕の家が「お金をかけていないだけ」だったんです。
まぁ家の古さからいって当たり前のことではありますが、友達の家で一切汲み取り式トイレが無かったのは衝撃的でしたね。

自分の家に友達を呼べない一番の理由が「トイレ」でしたから、これは本当に嫌でしたよ。

 

4-3.服装の違い

違いは家やトイレだけではありません。
服のレパートリーが違いすぎるんですよ。

母は40歳ぐらいの時に僕を産んだので、20歳前後でお母さんになった人とは20年ほど差があるんです。
そのセンスの差は大きいですって。

そして母も僕も服に関心が無かったのもありますけど、そもそも服を買う余裕が無かったんですよね。
ハーフパンツしかなかったので冬でも長ズボンなんて履かずに遊びまわっていました。

友達に「寒くないの?」って言われても「僕、長ズボン似合わないんだよね」と言って切り抜けていましたね。

 

4-4.食べ物の違い

これはお金とは直結しないんですが、食べ物がめちゃくちゃオシャレなんです!

友達の家に遊びに行くと、昼ごはんをご馳走してくれるんですけど、オムライスやパスタとかを平然と振る舞ってくれるわけですよ。
「えっ? なにかのお祝い?」みたいな感じでした 笑

これはお金がかかっているというよりも、作る料理が全然違うからですね。
僕の母はとにかく「煮物系」で攻めてくるので茶色の割合が多いのですが、友達のお母さんは色合いまでしっかり意識していました。

僕の家ではたまにパスタが出てきてもミートスパゲティーだったので、結局茶色からは逃げられなかったんです。
実際にはお金をかけていなくても、お金がかかっているように見せられるお母さん達は尊敬しますね。

という感じで、色々なところで格差を感じた僕は「うちって貧乏なのか?」ということに気付いていったのでした。

 

5.中学ではバスケ部で頑張っていた

中学に入ると、みんな勉強を頑張り始めるんですよね。
僕は勉強を頑張る意味がよくわからなかったので、とにかく部活を頑張っていました。

部活はバスケットをやっていたんですが、なぜかバスケ部には不良の先輩が集まっていたんですよ。
その関係もあって、なかなかボールに触れる練習ができなかったんですけど、なかなか触れられないからこそボールを使った練習が楽しかったんです。

結局あまり上手くはなれませんでしたが、とにかく一生懸命やっていましたね。

 

5-1.選択ミス

部活を一生懸命やっていた僕は、家に帰ってからも友達と公園でバスケットをやったりしていたのです。

それで、家に帰ったら疲れて寝るじゃないですか。
そして次の日も同じサイクル。

僕はバスケットが好きすぎて、勉強をやる時間を一切作らなかったんですよ。

みんなは受験に向けて一生懸命頑張っているのに、僕は「バスケを楽しくやる」というめちゃくちゃ最悪な選択をしてしまいました。
完全な選択ミスです。

スポーツ推薦で高校に入学できるなら話は別ですけど、そこまで上手くはなれませんでしたからね。

 

推薦(すいせん)といえば、中学に入るちょっと前に家のトイレが汲み取り式から水洗(すいせん)トイレに変わりました。
あと、ジャージを買ってもらって長ズボンもゲットしましたよ。

補足情報でした。

 

5-2. 勉強嫌いの理由

僕は勉強が嫌いだったのですが、その理由は「わからないから」でした。

もっと厳密に言うと、

もともと覚える気が無い
   ↓↓↓↓
授業の1割ぐらいしかわからない
   ↓↓↓↓
誰かに聞いて覚えるつもりもない
   ↓↓↓↓
次の授業もわからない
   ↓↓↓↓
ただ授業してる空間にいるだけ
   ↓↓↓↓
できないことは嫌いになる

みたいな感じでした。

 

こう見るとただのクズ野郎ですけど、勉強が嫌いになる理由って案外こういったパターンなんですよね。
数学の授業中なんか女子生徒のプリクラ帳を借りて、それをずっと見てましたよ。

そのツケはバッチリ回ってきて、50点満点の数学のテストではいつも1ケタ代をキープするというダメっぷりを発揮していました。
まぁそんなこんなで勉強は全然好きになれなかったというわけです。

 

6.なんとか高校に入学

そんな僕も集中的に勉強を頑張って、なんとか公立高校に入ることができたんです。
レベルの低い学校でしたが、よく公立高校に入れたなぁって思いますよ。

僕達の年だけ全国一斉で受験制度の変更があって、それがちょうど適していたのか、頭の良くない僕でも奇跡的に合格してしまったんです。
まぁ半年ぐらいは一生懸命(僕なりに)勉強を頑張った期間があったので、その効果を発揮できたのかもしれませんけどね。

ただ、僕は今でも奇跡だと思っています。

 

6-1.本当にレベルの低い高校

この高校は本当にレベルの低い高校だったんです。
入学して一発目のテスト。

英語の問題で「アルファベットA〜Zを、大文字と小文字で全て書きなさい」という問題が出題されました。
これを見て僕は「さすがにバカにしすぎだろ」と思い、スラスラって書いたわけですよ。

これって中学一年生のレベルじゃないですか。
そういう問題でテストを作る程度の学校だということです。

ちなみに僕はそのテストで「Q」の小文字を小さく「Q」と書いてしまいました。
正解は「q」なので、バッチリ減点されてましたね。

僕はその程度のレベルなんですよ。

あと、数学の点数で「頭の良い組」と「頭の悪い組」が分かれて勉強するんですけど、そこでもバッチリ「頭の悪い組」に所属していました。

僕はその程度のレベルなんですよ。

 

6-2.水泳は辛かった

僕、泳げないんですよね。

これは小・中学生の時もそうだったんですけど、水泳の授業が辛くて仕方ありませんでした。
でも、高校で熱心に付き合ってくれる先生が現れてしまったんです。

付き合ってくれるというか、僕は泳げないままで構わなかったんですけど「俺が泳げるようにしてやる!」という感じですよ。

授業外の時間も「おしっ!やるかっ!」と言って付き合ってくれたんですけど、ちょっとありがた迷惑でしたね。
お陰でバッチリ平泳ぎができるようになったので良しとしましょう。

全然前に進まないので、25mを泳ぐのに20分ほど掛かりますけどね。

でも、できるようになったので良しとしましょう!

 

6-3.進路は即決

高校3年になると進路を決めなければいけません。
僕は勉強なんてやりたくなかったので「絶対に働く!」と言って就職を選択したのです。

ただ、僕のレベルじゃ全然良いところにはいけませんでしたから、家の近くにある工場で働かせてもらうことにしたのでした。

まぁここが月13万円の会社なんですけどね。

 

7.社会人編スタート

とうとう働く立場になった僕。
ここから長い社会人生活が始まるわけですよ。

初めて会社に行く日、ドキドキやワクワクなんて感情は無く、
「勉強は嫌だったけど、あんなに長い夏休みを取ることはもうできないんだよなぁ」
という悲しい気持ちしかなかったことを今でも覚えていますね。

 

7-1. 仕事はめちゃくちゃつまらない

どんなに仕事が楽しくなかろうと、やるべきことをやらなければお金はもらえません。
とりあえず入って3ヶ月ぐらいは一生懸命やりまくっていたんですね。

はじめのうちは「頑張ってやれば、もしかしたら楽しくなるかも!」と思っていましたけど、鉄を変形させる仕事ですから飽きるわけですよ。

まぁ〜〜〜つまらないッ!

仕事を開始して数分経ったらチラッと時計を見る。また数分後にチラッと見る。
これを休憩時間までず〜っとやってしまうんです。つまらない時って本当に時間が進まなくて困っちゃいますよ。

まぁそんなんだから、仕事の覚えも究極に悪かったですね。

 

7-2.さよならは突然に

嫌々ながらも、ようやく仕事を覚えてきた頃、高校1年の頃から付き合っていた彼女に別れを切り出されました。
その時は「なんで突然言うんだ!?」って思いましたけど、そういうのってず〜っと蓄積されてきた結果なんですよね。

今となってはなんとも思いませんが、当時は「このまま結婚することになるんだろうな」っって本気で考えてましたから、結構悲しかったです。
ピュアな心を持っていましたねぇ。

急にポッカリと空いた心の隙間を埋めるため、友達とカラオケに行って平井堅さんの「瞳をとじて」を歌いまくっていました。
良い思い出です。

 

7-3.趣味で歌を歌い始める

僕は中学を卒業する手前ぐらいから、ちょこちょこカラオケに行き始めていたので、かなり歌が好きだったんですね。
彼女と別れたことで時間もできたので、カラオケに行く頻度も増していたのですが、友達と歌うだけじゃ物足りなくなってきたのです。

「もっと本格的にやりたい」と考えた僕は、しっかりとしたボイストレーニングを受けることにしました。
ボイトレの先生はすごく優しい方で、レッスンも楽しかったですね。

ちなみにこの時の歌唱力は「カラオケで上手いと言われる程度」だったんですけど、一年ぐらい頑張ればプロの歌手になれるだろうと勘違いしていました 笑
歌にハマってしまった僕は、ヒマさえあればカラオケに行くという生活を続けていたのです。

仕事は嫌だけど、仕事を辞めたら歌のレッスン費やカラオケに行くお金すら払えなくなってしまいます。
なので、音楽にかかる費用を稼ぐために仕方なく働いていたという感じでしたね。

 

僕は覚えが悪かったので、結構長い年月をかけて上達していったのですが、当時は「一般人の中では歌が上手い程度」にしかなれず、プロになるなんて夢のまた夢でした。
歌をやり始めた頃は「プロの歌手以外に歌で生きる道は無い」と勘違いしていましたが、かなりの勉強不足です。

歌で生きていく道はたくさんあります。
実際に今仕事にしているわけですからね。

この時の僕に会えるなら「勉強しなさい」と言ってやりたいですよ。

 

7-4.数年経つと上司のいじめが始まる

働き始めて3年ほど経った時の話です。
新入社員も入ってきて、こんな僕にも後輩ができるわけですよ。

プライベートでも先輩や後輩達とバーベキューをやったりして遊ぶ仲になってきました。
お金が無いにも関わらず、みんなでパチンコにも行ったりしていましたね。

ここから結構パチンコにハマってしまったんですけど、全然勝てなかったですよ。
「5万円やったら3万円返って来る」みたいな感じでどんどん目減りしていくんですけど、それはそれで楽しかったです。

まぁ当時はお金が無かったので一気にそんな金額をやるのではなく、もっと少ない金額でやっていましたけどね。
あまり勝てはしないけど、みんなでワイワイやるのがひとつの楽しみになっていたのでした。

 

そんな時、上司のいじめが始まったのです。

最初は小さなことからだったんですよね。
ホントちょこっとした感じのことで「機嫌が良くないのかな?」と思う程度でした。

でも、途中からやることが大胆になっていったんです。

とにかく理由をつけて怒鳴ってくるんですよね。
全然大したことじゃないし、僕がやってすらいないことを僕の責任にしたりするんです。
周りが明らかに同情の眼差しで見ていたので、相当だったと思いますよ。

一回や二回だったらそこまで気にしませんけど、毎日毎日何回も言われ続けていたら嫌になってしまいます。
僕以外の社員全員に飲み物を渡して、僕には「仕事をしてろ」と言ってみんなで休憩をとりに行ったりもしていましたね。

器の小さい上司ですよ。

こういうことがずっと続き、あまりにも嫌で有給が足りなくなるぐらい休んでいましたけど、それも怒りを買う原因になっていたので良くないサイクルでしたね。

 

7-5.歌は生きがいだけど上達しない

上司のイジメがエスカレートしていく中、僕は歌をやることだけが生きがいになっていきました。
「ドンドン上達してプロになってやる!」と意気込んではいたんですけど、そういう焦りがある時に限って全然上達しないんですよね。

上手くなってきているのは自分でも実感できるんですけど、プロになるには明らかに足りないレベルなんです。

焦りましたね。
自分の人生設計をする視野がとても狭くなっていたんです。

「歌が上手くならなきゃこの辛い状況を抜け出せない」としか考えられませんでした。
もうね、、、ホントに辛いんですよ。

歌は好きだし、歌うために働いているようなものでしたが、なんせ職場環境が悪すぎましたからね。
歌がなければ追い込まれて鬱になっていたと思いますよ。

 

8.会社を辞めることを決意

そんなこんなで辛い毎日を送っていたのですが、ある時仕事でちょっとしたケガをしたんです。
そこで「本当にこのままここにいて良いのか?」という自問自答を繰り返しました。

そして出した答えが「辞めてもなんとかなる!」だったんです。
ここで僕が出した答えは大正解だったと思いますよ。むしろなぜ今まで気付かなかったんだって感じですね。

そして自分の出した答えを母に伝えることを決心したのでした。

 

8-1.母との言い争い

夜、家にいた母に声をかけて「会社でこのようなことがあったから辞めたい」という旨を全て伝えました。
すると母は「今は給料が安くてもいずれ上がるだろう」とか「今は安定している」とか「部署を変えてもらえば良い」と言い出し、明らかに僕をこのまま地獄にいさせたいといった発言をしたのです。

でもここで引き下がったら地獄確定。
僕は全力で「辞めるアピール」を続けました。

結構な時間、お互いに意見をぶつけ合いましたね。意見のぶつけ合いと言えばちょっと良く聞こえますが、実際はただの言い争いですよ。
そしてようやく母は「わかった。その意志はかたいんだね」と言って受け入れてくれたのでした。

 

8-2.借金発覚

会社を辞めると伝えた翌日、僕は朝4時に母の声で起こされました。
会社に行くのはまだ何時間も後ですし、朝早くから起こされたことで僕はイラつきを隠せません。

その時、母の口から出たのは最悪な言葉だったのです。
「シゲルの名前で借金が400万円あるから、辞められたら困る」
そう言われました。

 

結局昨日の夜僕のことを引き止めたのは、僕のことを本気で考えて色々アドバイスしていたのではなく、ただただ借金返済ができなくなってしまうからだったんですね。
これには本気で怒鳴り散らしましたよ。

お金にだらしない僕は、給料などの管理を母に任せていたのですが、その全てを使ってしまっただけではなく、更に借金までしていたということでした。
地獄から逃げ出すことを決意したのに、更に奥底へと突き落とされたのです。

 

ちなみに、今の僕から言わせてもらえば「全て僕の責任」ですけどね。全ては事前に回避できたことなので。
とはいえ、この時点で時すでに遅し。

最悪の人生がスタートされたのでした。

 

8-3.休むことなくすぐに就職

「会社を辞めない方が良いんじゃないの?」と感じる人もいるかもしれませんが、ここの給料だったからそうなってしまったんです。
しかも嫌な上司と借金返済の二重の苦しみなんて耐えられないので、辞めるという意志は揺るぎませんでした。

本来は会社を辞めてから自分のやりたい仕事を見つけるつもりでしたが、ここまで借金があるのでゆっくりしている時間なんてありません。
すぐに「今までより給料が多いけど休みがほとんど無い」というトラックの運転をする会社に勤めたのです。

本当に休みは激減しましたが、給料は少し増えたのでなんとか生活ができる状態を確保したのでした。

 

8-4.色々な人に拡散

僕は借金に対しての知識が全くなかったので、まずやったことは「パソコンで調べる」ということでした。
インターネット上にはたくさんの情報がありますからね。

ただ、インターネットというのは残酷で、検索する言葉がわかっている人にとっては色々な情報を教えてくれるのですが、検索する言葉がわからない人にとっては全く使いこなせないんですよ。
だから僕がいくらパソコンで検索しても、借金返済に関しての有力な情報を検索することは出来なかったのです。

 

そこで僕はプライドを捨てて「人に聞く」という行動を取ることにしました。わからないなら人に聞くしかないですからね。
そこからは友達や、友達の家族に400万円の借金を抱えたということを話しまくりました。

ただ、聞いた人が暗い気持ちにならないよう「絶対に明るく話す」というのを心掛けていたので、みんなめちゃくちゃ笑ってましたね。
そして、この「人に聞く」というのは凄く効果があったのです。

 

みんな年齢の分だけ色々な経験をしているわけですから、その経験の中で効果がありそうなことを抜粋して教えてくれるわけですよ。
インターネットで検索しても、検索すべき言葉すらわからない僕には1番の方法でしたね。

結果的に笑いを取れただけではなく、『弁護士無料相談が1番』だということを知ったのでした。
今なら「まずそれをやるだろ!」って思うかもしれませんが、当時はスマートフォンすらまともに普及していなかったんです。

僕のように平凡に過ごしていたら、弁護士無料相談なんて思い付きもしないことだったんですよ。
本当に知らないって恐ろしいことだなぁと思いますね。

 

8-5.情報収集

弁護士無料相談に行った僕はそこで色々な話を聞きました。

現時点の状態だと、返済の義務は僕にある。
売れるものは売るべき。
自己破産という方法もあるが、基本的に自己破産は「返済が不可能である場合」にしか使わないので、400万円ぐらいならコツコツ返した方が色々な制約が無くてお得。
現時点で何カ所からも借り入れがあるので、それを一本にまとめてしまうべき。
年金には低金利でお金を貸してもらえる仕組みがある。

これらのことを教えてもらったのでした。
実はこの時、丁度母親に年金が受給されるタイミングだったのです。
なので、年金を使った低金利の借り入れも、審査が通れば可能だったんですね。

月々にもらえる年金の金額を減らす代わりに、まとめて前借りさせてもらえるという感じなんですが、このシステムは金利がとても安いので、ここでまとまったお金を借りることができれば、金利の高いところをまとめて返済できてしまうんですよ。

「借りたお金は、お金を借りて減らしていく」という一見矛盾した方法が、この時の僕には最善の方法だったのです。
これを知った僕はすぐにお金を借りるための準備をしたのでした。

 

8-6.企業年金と厚生年金

年金に関しての手続きをしていると、母親から企業年金の話をされました。
年金には厚生年金と企業年金があって、厚生年金というのは国民が定期的に納めていれば、該当する年齢でもらえるものです。

それとは違い、企業年金は働いていた企業が社員にかけていたものになります。
企業年金を超簡単にお伝えするなら「退職金を分割して渡してもらう」みたいな感じですかね。
(間違えていたらすみません。ただ、大体そんな感じです)

母親が数十年前に努めていた会社が、そういうシステムを使っていたようです。

 

そして受給時に「月々5,000円を死ぬまでもらう」か「一括で50万円をもらって終わりにする」かを選択するというものでした。
月々5,000円だと、年間6万円。8年でようやく48万円。しかも母親が死んでしまった時点で受給が終了してしまいます。

運任せはギャンブルと一緒です。
50万円を一括で受け取れば高金利の借金を一括返済できるので、結構なメリットがあると考えて、一括で50万円を受け取ることにしたのでした。

 

8-7.借金は数字を減らしていくもの

厚生年金を使った借り入れでは審査が通り、100万円を貸してもらえることになりました。
そして企業年金で50万円が手に入ることもわかっています。

ここで僕は、家にある不要な物を売却することにしたのです。
小さなものを売ったところで全然足しになりませんから、無くてもなんとかなるであろう「車」を売却することにしました。

 

実は借金の400万円には車のローンも含まれていたんですね。なので、車を売ってしまえばそのローン分はある程度支払えるわけですよ。
ただ、僕が住んでいたのは都会のように交通の便が良いところではなかったので、車を1台減らすというのはかなりの痛手でした。

それにローン分が全て解決するのではなく、70万円程度はローンの支払いが残ってしまいます。
でも、とにかくお金がかかるものはどんどん減らしていくことが大切なんですよね。

泣く泣く車を売却しましたよ。

 

8-8.一年経つ頃には、、、

そうこうしているうちに150万円が手元に来たので、高金利のところを一気に返済していきました。

金利というのは想像している以上にかかっているんですよね。早い時期に一括で返してしまうと「えっ?これだけの返済額でいいの?」という感じになります。
返せるところはドンドン一括返済していくことに意味があるんですよ。

結局のところ、当初400万円あった借金ですが、実際に支払ったお金は300万円前後といった感じでしたね。
一年経つ頃にはほぼ完済していた状態になっていました。

 

まぁその間には結婚式場でバイトをしていましたし、休みなんて一切ありませんでしたけどね。
結婚式場で年下の社員にめちゃくちゃデカイ態度を取られるなんて当たり前のことでしたし、ホントにプライドを捨てなきゃできませんでしたよ。

この時にネットビジネスの知識を持っていたとしたら、こんなに苦労することは無かったんですが、なんせ情報弱者でしたからね。
そんな世界があることなんて気付きもしないわけですよ。

 

お金を稼ぐには「大きなリスクを取って起業する」もしくは「悪いことをする」という二択しかないと思っていました。
だから当時の僕は時間の切り売りである肉体労働しか選択肢を持っていなかったのです。本当に知っているか知らないかの違いは大きいなと感じますよ。

まぁそれでも「借金はコツコツ返していくものではなく、数字を減らしていくもの」だと知れたことは大きかったですね。
お金ってただの数字なんだということを知れたキッカケでもあります。

なにはともあれ、結構苦労はしたものの借金を無事返済できたというわけでした。

 

9.借金返済後の親子関係

借金問題は片付いたのですが、母との仲は最悪でした。
僕が母に対して怒っているのは借金をしていたからではなく、嘘をついて僕の名前を使ったり、それを隠していたり、発覚した後も自分を正当化しようとしていたことに対してなんですよ。

まぁこれはやられた人にしかわからないかもしれませんけど、いくら自分の母親だからといってそう簡単に許せるものではありません。
家にいても必要最低限の会話しかしませんでした。

家を出ようとも思いましたが、家賃などのことを考えると生活が厳しくなるので、当時の僕の頭では実家に住む以外の方法を考えられなかったのです。

 

9-1.変化

そんな関係なので、家の中でも顔を合わせることはあまり無かったのですが、その日はたまたま会ってしまったんですね。
夜8時ぐらいだったと思います。

いきなり母が「家に帰って来るまでに、電柱に3回頭をぶつけた」と話し掛けてきました。
僕は意味がわからなかったので「は?アホか」とだけ言い放ちます。

すると、その後も母親が何かを話し掛けてきたのですが、全く聞き取ることができなかったんです。
伝えたいことはあるけど、ろれつが回っていないから伝わらない、と言った感じ。

異常性を感じ取った僕は「明日病院行って来いよ」と伝えたのですが、喋れないんだから伝えるのも難しいだろうと思い、メモを書かせることにしたのです。
「ろれつが回らないってメモ書いとけよ」と言って、メモ帳とペンを渡すと母が書き始めたのですが、そのメモを見た瞬間僕は凍りつきました。

メモ帳には

「 ほ は つ 」

という3文字だけが書かれていたのです。

 

9-2.病院での反応

これはヤバそうだと感じた僕は、このままここで倒れられても困るので、とりあえず病院に電話すると「今すぐに来てください」と言われました。
病院に連れて行くとすぐに診察をして、MRIを使った精密検査をやることになったのです。

精密検査を受ける前に担当の先生が険しい表情をしていたので(ろれつが回らないぐらいで大袈裟だな。普通に歩けるわけだし)と思っていたのですが、あとからその理由を知ることになるのでした。

検査結果が出ると即入院が決まり、色々と荷物の支度をしたのですが、入院ってわりと面倒なんですよね。
家族以外の保証人にサインしてもらうとかもあるんです。

「これは1週間ぐらいは入院することになるだろうな」と感じた僕は色々なところに連絡をしたのでした。

 

9-3.身近な人間の変化

母の病名は「脳梗塞」というもので、糖尿病により脳内の血管が詰まってしまったのが原因ということでした。
普通の人の血糖値は空腹時で「80〜130」ぐらいの数値なんですが、母は「347」という信じられない数値。
生きてるのが不思議なぐらいですよ。

病室に行くと、先生はベッドの上に座った母の両腕を伸ばして肩の高さまで上げ「このまま支えておいてくださいね」と言って手を離しました。
すると右腕だけが支えられずにストンッと下がってしまったのです。

左手だけがまっすぐに伸ばせている状態を見た母は衝撃を受けていました。ついさっきまでは普通にできていたことですから、ショックを受けるのは当然ですよね。
翌日にはほとんどの言葉を喋ることができなくなっていて、単語をひとつ絞り出すのがやっとという状態。

そして三日目の朝、目が覚めるとベッドから起き上がることすらできなくなっていました。
四日目になると意識もハッキリしておらず、悪化しているのが一目でわかる状態。

「このまま終わるんだろうな」というのが僕の正直な感想でしたね。

 

9-4.病状が悪化する中、言いたかったこと

そんな状態の中、僕の存在に気付いた母はなにかを喋ろうとしていました。
かろうじて発している単語を繋ぎ合わせていくと、どうやら「借金がまだある」といったことを言いたいようです。

すぐに思い当たるところ全てに連絡を取って調べましたが、返済は終わっていて借金はもう無いということがわかりました。
借金に追われ続けた人生。
自分の体がこんな状態でもそんなことで苦しんでいる。

そして、ここで初めて僕に対しての罪悪感があることを実感したのでした。

 

9-5.ようやく病状はおさまる

一向に回復しないと思っていた病状ですが、2週間ほど経ってようやく落ち着いてきました。
あの状態を生で見ていた僕からしたら「よく落ち着いたな」って感じですよ。

病状が落ち着いたと言っても回復したわけではなく、あくまでも「進行が遅くなっただけ」なので、右半身不随の寝たきり状態に変わりはありません。
意識だけはある程度ハッキリしていたのですが以前の記憶はほとんど無くて、借金のこととかも全然覚えていませんでした。演技で記憶喪失を演じているとかではないですよ。

看護婦さんが「息子さんが来たよ」って言えば反応するんですが「息子」というものがなんなのかわかっていない状態ですからね。
相変わらず喋ることがまともにできなかったので「失語症」と診断されました。

利き腕ではない左手は動くので、スプーンを使って食事を取るように準備されていたのですが、半身不随なのもあって上手く食べることができないんですよ。
だから、僕がスプーンで食べさせることにしたのです。

一生懸命こぼれないように食べる母の姿を見て様々なことを考えた僕は、とても複雑な心境でしたね。
この時を境に、もう借金のことはどうでもよくなってしまいました。

 

10.次の場所

病状が落ち着いてある程度の日数が経つと、今度はリハビリ施設へ移動することになったのです。
入院当初は1週間程度で退院して、またすぐに日常生活へ戻ると思っていたので、あまりにも想像と異なった現実にだいぶ疲れが溜まっていました。

毎日通っていたし、昼間普通に仕事していたので疲れるのも当たり前ですよね。
でも、いつ悪化するのか全く予想できないと言われていたので、大変でしたがなるべく多くの時間を一緒に過ごすためにも毎日顔を出すことをやめなかったのです。

 

10-1. リハビリ施設に移動

リハビリ施設への移動当日。
病院から出発する時、母は大号泣していました。看護師の皆さんが優しくしてくれたので、名残惜しかったんでしょうね。

リハビリ施設に到着すると、環境や人がとても良さそうな感じに見えました。(実際に良かったです)
そして毎日のリハビリの成果もあり、一人でベッドから起き上がって、車椅子に移動できるまでになってきたのです。

もちろん右半身は麻痺でほぼ動かないままなので、関節を固定する道具は使っていましたけどね。

 

10-2.骨折でまた逆戻り

動けるようになると、自分で色々とやりたくなってしまうのが人間というものです。

僕が仕事をしていると、リハビリ施設から電話が掛かってきて、その内容は「お母様が骨折してしまったのですぐに来てください」というものでした。
家族がいないと病院に移動できないので、こういう時は仕事を休まなければならないんですよ。

すぐにリハビリ施設に駆けつけると、母は普通の顔をしていました。触ると痛がるぐらいの感じで「ホントに折れてるのか?」と思いましたが、実際に「大腿骨」という太ももの骨が完全に折れていたのです。
麻痺している側の足だったので、痛みの感覚が鈍っていて本人もどこが痛いのかよくわからないという状態でした。

どうやら夜中に一人で立ち上がって移動しようとしたら、転倒して骨折したようです。
手続きを済ませ、すぐに病院へと移動することになったのでした。

 

10-3.医者のデリカシーの無さにドン引き

移動先の病院は脳梗塞の時と同じ病院でしたが、今度は骨折で入院なので前回とは違う病棟での入院となりました。そして、手術に関しての説明を受けたのです。

いくつかの説明を終えた後に「もし意識が戻らない時に延命措置を取るかどうか」という質問をされました。
病院側は失敗する可能性が低くても、手術で何かあった時のために確認するんですよ。

これは大切なことなので、聞かなければならないというのはよくわかります。
ただ、本人の目の前で聞くことじゃないですよね。

 

簡単に言うと「失敗して意識が戻らない時、生かすか殺すかを今のうちに判断してください」ということですから。さすがにデリカシー無さすぎて引きました。
そういったところに気を使える先生が増えてくれると、もっと病院のイメージが良くなると思うんですけどねぇ。まぁこれは人間性の問題だと思いますが、、、

結局手術は無事成功して、2週間ぐらいでリハビリ施設に戻れたのです。
「骨折してもそんなに早く退院するのか」と驚きましたが、病院も定員オーバーなんでしょうね。ボルトで骨を固定したらドンドン退院してもらうのが普通だということでした。

 

10-4.二度目のリハビリ施設

またリハビリ施設に戻ったのですが、2週間ほどしか経っていないので、違いといっても部屋がちょっと変わったぐらいでした。
ただ「次に同じところを骨折したら、高確率で寝たきりになる」と言われていたので、本人以上に施設の皆さんが気を使っていましたね。

その後ある一定の期間をリハビリ施設で過ごし、施設内であればなんとか生活できるレベルにまでなったのです。
ただ、家に帰ってくるのは難しい状態だったので、次の施設へと移動することになったのでした。

 

11.その後の行き先

リハビリ施設の次は介護施設への移動となります。リハビリの回数は減りますが、日常生活を送るための援助をしてくれるといった感じですね。

母は右半身麻痺、失語症、コミュニケーション能力の低下、昔の記憶は無しという状態ですが、食事の時間や飲み薬などの「現時点での決まりごと」はわかるようで、施設ではわりと上手くやれているようでした。
決まりごとがわかるとはいっても、家で今まで通りの生活をすることは不可能なので、施設に入れてもらえるのはとても助かります。

そして、ここでようやく僕の生活も落ち着きを取り戻し、ちょうどこの頃今の奥さんと付き合い始めたのでした。

 

12.パチンコ依存

この頃の僕は借金返済から解放されたことでパチンコに賭けるお金がだいぶ増えていました。
使う金額が増えているにもかかわらず、5万円使って3万円返って来るという勝率は変わることなく、50万円使って30万円返って来るといった感じになっていましたね。

金欠の時にはたまにお金を借りてまでやっていました。

「借金を返済した」というのが良くない意味での自信に繋がってしまい、お金が無くなることへの恐怖感が無くなっていたんですよね。

 

12-1.彼女の借金問題

実はこの頃彼女も借金を抱えていたんですよ。
でもその金額は100万円だったので、僕からしたら全然楽勝で返せる金額だったんですね。

家族に年金をもらっている人もいるし、両親も兄弟もいるので返済のやり方はかなりある感じだったのですが、その中でも一番簡単に解決できる方法があったのでそれをオススメしました。
その方法とは、彼女の結婚資金を借金と同じぐらい貯めてくれていたので、正直に伝えてそれをもらうという方法です。

結局借金っていうのは「恥ずかしい」とか「怒られる」とか「悲しませたくない」といった感情で言えなくなってしまうから選択肢が狭まるんですよね。
正直に伝えて早期解決した方が、多くの場合簡単に解決できるんですよ。

もちろんこうなってしまった経緯を事細かに伝える必要があります。
結果的に正直に伝えたことで、怒られることも悲しませることもなく問題は解決されたのでした。

 

12-2.上司の変貌

ここで上司からの嫌がらせが始まります。
こういった人間はどこに行ってもいるんだなぁって思いましたよ。

いじめる方が悪いとか、いじめられる方にも問題があるって言いますけど、そういう問題ではなく、組織である以上はそういう人間が現れるっていうのが真実だと思いますね。

 

今回の上司は僕に対して「あれをやっておけ」と指示して、指示通りやっている僕を指差して、他の従業員に「アイツはあんなことやってるから仕事ができないんだ」と言ってみたり、周りに人がいる時にだけ、全然たいしたことじゃないのに理由をつけてわざと怒鳴ったりといった感じです。

一番印象に残っているのは、靴の中にゴキブリの死骸を入れられていたことで、その時にニヤニヤしていた上司の顔は一生忘れないでしょうね。
前職の上司も嫌でしたが、こっちの方が善悪の区別がついていないのでタチが悪いです。

 

借金を返済するまでの間や、母の病状が落ち着くまでの間は職場で嫌なことがあったとしても我慢できていたのですが、それらが無くなると背負っている物がありませんから、今までだったらなんとか耐えられていたであろうことも「耐えがたいこと」になってくるんですよ。

本気で職場が嫌だと思い始めたところから一年も経たないうちに「めまい」で歩くことができなってしまったんです。
病院に行くと「ストレスが原因」だということでした。

 

どの病気もそうだと思いますが、めまいというのはなった人にしかその怖さがわからないと思いますよ。
前日にお酒なんて一滴も飲んでいないのに、朝起きたらめちゃくちゃキツイ二日酔い状態で世界がグルグル回っているんですからね。

結局はストレスで「耳」に影響が出ていたのが原因だということでした。
脳に影響があったのかと思ってビビりまくっていましたが、原因が耳なので少しだけ安心しましたよ。

ただ、半年ぐらいこの症状は完治しなかったんです。この時に初めて「ストレスは危ないもの」だということを知りました。

 

そして同時期にいきなり『喘息』にもなってしまったのです。
これはストレスというよりは職場の環境だったと思います。かなりホコリっぽいところでしたから。

生活をしていくために嫌な仕事でお金を稼いでいるのに、その仕事で体を壊して医療費にお金を使うなんて馬鹿げてます。

いよいよ本気で仕事が嫌になった僕でしたが適切な行動をすることはなく「稼ぐ方法ってないのかなぁ」とただただフワフワしているだけでした。

 

13.試しに小説を書いてみる

ここで僕の情報弱者っぷりが発揮されるのですが、ネットビジネスは絶対に詐欺だと思っていたんですね。
なので、インターネットを使った商売なんて危ないと思っていました。

だから僕が取った行動は「小説を書いて一発当てる」という非現実的なものだったのです。

 

この頃には趣味でやっていた歌がだいぶ上達していたので、それを題材に小説を書いて有名になってやろうと考えていました。
しかも小説なんて読んだことすら無いのに。今考えるとアホすぎてお話になりませんよ。

結局その方法しか思いつかなかったので、半年掛けて長編小説を一生懸命作成し、コンテストに出したのでした。
まぁ結局素人が書いた物ですから、箸にも棒にもかからないという感じで、一次オーディションでばっちり落選してしまったのですが、実際のところ書き切っただけでも当時の僕を褒めてやりたいですね。

 

常に手の平サイズの紙切れを持ち歩いていて、思いついたらドンドン書いていくんですよ。
漢字、平仮名、カタカナ、英語、数字などなど、ごちゃごちゃの状態で書くんですね。

「下書きは自分がわかればそれで良い。大切なのは速さと量」ということを意識していたからです。
それを半年間やったわけですから、それだけ本気でもがいていたということになります。

ただ、一切お金は稼げませんでしたけどね 笑

 

14.くすぶり期間

「お金を稼ぐためには投資」という話を聞いたので、そういった系も少しやってみましたが、なんせ投資金が少なすぎて全然生活できるほどの稼ぎになんてならなかったんですよね。
特に「簡単に稼げそうな投資」については全然ダメでした。

一時的にはグッと金額が上がったりするんですけど、またガクッと下がったりしてしまうんです。
いつの時代もそういう投資はありますけど、そんなものギャンブルと変わりませんよ。

そうやってくすぶっていた時に、彼女から「ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど」と言われたのです。
これが僕にとっての転機となるのでした。

 

14-1.彼女がビジネスを提案

彼女の話はまず「パチンコへの依存が心配」ということでした。
僕がパチンコで勝っているならまだしも、負け続けているんだから心配するのは当然ですよね。

そして「お金が欲しい」という僕の気持ちも彼女はお見通しでした。
その解決策として「一緒にビジネスをやろう」と提案されたのです。

この流れだと「あれ?ネズミ講かな?」って思いますよね 笑

 

僕は正直「もしそっち系だったらどうやって断ろうかなぁ」なんてことを少しだけ考えてはいたものの、彼女はそういうことにのめり込むようなタイプではなかったので、話を詳しく聞くことにしたのです。

彼女がやろうとしていたのは「インターネットビジネス」であり、僕が詐欺だと思い込んでいたものでした。
その話を聞いて初めは「大丈夫なのかな?」と思っていたんですが、話を聞いていくうちに「これは詐欺の類ではない」ということに気付いていったのです。

 

14-2.彼女がビジネスについて詳しい理由

「なんでここまで彼女が説明できるんだろう」と不思議に思った僕は、その理由を確認して納得しました。
彼女は本当に実践可能な教材を手にしていたのです。つまり、結構高額なお金を払って習っていたというわけです。

そして習った理由は「僕への恩返し」ということでした。
僕が彼女から聞いた情報は、一生掛けても知ることができないようなものばかり。

これだけ本気で僕のことを考えてくれている彼女と、なんとかもがいて変わろうとしている僕。
インターネットビジネスをやらない理由はありませんでした。

 

14-3.プライドを再度捨てる

僕は借金返済の時にプライドなんてものは捨てたつもりでいたんですね。
でも、わりと短い期間で借金を返済して、困らない程度に生活していたことで「何があってもなんとかできる」という自信がついていたのです。

それがいつの間にかプライドへと変わってしまったのでした。
「もうやるしかない!」という気持ちになっているのですが、

◼️今まで一緒に生活していた彼女。
◼️彼女の借金解決をサポートしたのは僕。

それなのにここまで圧倒的な知識の差を見せつけられると、新たに形成されたプライドがズタズタにされたような気持ちになってしまいました。
でも僕はここで「傷ついている時間がもったいないから、素直に色々聞こう」と気持ちを切り替え、再度プライドを捨てることにしたのでした。

 

14-4.知識の吸収

プライドを捨てた僕は「ホントにスゴイ!こんなこと全然知らなかった!」と素直な気持ちを伝えて彼女を褒め称えました。
くすぶっていた自分の人生を激変させてくれるであろうことを、ポンポン教えてくれるわけですから当然ですよね。

まだ実績は出ていないけど、実績を出した人から得た知識なので個人コンサルみたいな感じです。
これをキッカケに「本物を判断する基準」というのがわかるようになってきたのでした。

 

15.ビジネス開始したけど、、、

やる気に満ち溢れた僕は、自分のやるべきことをしっかりと決めて、ビジネスを開始したのでした。
ただ、インターネットビジネスをだいぶ甘くみてしまっていたんですよね。

ゴールまでの道筋を理解した僕は「みんながやってるってことは、もう稼げないかもしれない」という変な考えを持ってしまいました。
そして「自己流でやった方が稼げる」と勘違いしてしまったのです。

彼女も実際に成果を出していたわけではなかったので「試しにやってみたらいいかもね」という感じで止めはしませんでした。
これはインターネットビジネスをやっている人からしたら「あるある」だと思いますが、

◼️成功の型を崩すと上手くいかない
◼️全体の流れを知っているだけで稼げるほど甘くない

というのが現実なんですよ。

 

例えるなら、車の部品と設計図が目の前にポンッと置かれているだけの状態。

道具の使い方や組み立て順序には成功した「型」があるのですが、それを無視したら不具合が生じます。
それで強豪のTOYOTAみたいな会社と張り合っていこうとしているわけですから、無理に決まってますよね。

そこをしっかり理解していなかった僕は「これだけ知っていればきっと稼げるだろう!」と勘違いしてわざわざ型を崩してしまい、時間を無駄に使ってしまったのでした。

 

15-1.有料教材の凄さ

全く成果が出せないという現実を目の当たりにして「しっかりやるべき」というのを実感した僕は、彼女の言うことを忠実に守ることにしたのです。
一度失敗している状態で改めて彼女から教わると、初めに聞いた時とは全然違う捉え方ができるようになっていました。

僕が失敗した理由はもちろん、成功するために必要な要素がしっかりと詰まっていたのです。
この時にようやく「有料教材を買うことで時間を短縮する」という本当の意味を理解することができました。

ただ、ここで僕のアホっぷりがまた発揮されてしまうのです。

 

15-2.シゲルのアホっぷり

彼女が購入した教材の内容は本当に凄いものでしたが、その凄さが遠回りする原因にもなってしまいます。
内容としては本当に稼げる方法でしたし、結果的に僕はその手法を使ってある程度稼げるようになったのですが、それはだいぶ後の話なんですよね。

実はその教材は、主に「アフィリエイト」に関して詳しく書かれたものでした。
アフィリエイトとは「商品を紹介して、販売できたら紹介料をもらえる」というものですね。

インターネットビジネスでは王道中の王道。

ただ、僕の場合はすでに「音楽という商品」があるわけですよ。
なのにわざわざ他のことでいちから勉強し直して成果を出そうとしていたんです。

そりゃ成果を出すまでにめちゃくちゃ時間掛かりますよね。
結果的に思うような成果を出せないまま、またもや時間を費やすことになってしまったのでした。

 

15-3.できる限りやる

◼️朝4時に起きて仕事前に仕組み作り。
◼️昼間会社で仕事の合間を使ってサイト運営や仕組み作りの下準備。
◼️帰宅してから仕組み作り。

といった感じで、猛烈にのめり込んでいったのです。

まぁそれでもこの期間でまともな収益は出ませんでしたけどね(笑)
いちから学ぶことが多すぎたんですよ。

 

ただ、ここでアフィリエイトをやったことには大きな意味がありました。

◼️ビジネスとはどういうものなのか。
◼️本物の教材とはどういうものなのか。
◼️どれぐらいの努力量が必要なのか。

などなど、無料でやっていたら絶対にわからないようなことを短期間で学べたわけですからね。

 

成果は金銭的なものだけではありません。知識の定着だって大きな成果なんです。
そういった意味で、ビジネス初心者の僕には大きく意味のある時間でした。

 

15-4.ようやく得た気付き

楽しいけど全く収益が出せなくて悩んでいた時に「人の商品よりも、自分の商品の方が良いポイントを細かく伝えられるんだよなぁ」と思ったんですよね。
で、ここでようやく自分が商品を持っていることに気が付いたのです!

もともと音楽でなにか成果を出したいと思っていたわけですから、それを商品にすれば良いだけだったんですよ。
しかも音楽だけではなく、僕が歩んできた人生は色々なことがあったわけです。

借金返済をはじめ、サイト構築やネット上の様々な知識、住んでいる場所やスポーツ、密かにダイエットも成功させたりしていましたからね。
それら全てをひとつひとつ丁寧に教材化していけば商品になるんですよ。

なので教材を作り、自分の知っていることを、自分よりも知識を持っていない人に向けてお伝えしていくという方法を取ったのでした。
これを「コンテンツビジネス」と言いますね。

 

トップクラスで教えていくわけではないので、初めのうちはもちろん金額を安いところから始めていきました。
しかし、その積み重ねでどんどん成果を出していったのです。

ただ、音楽に関しては情報量が多過ぎてまとめるのに時間が掛かってしまったため、音楽とビジネスを結びつけたのはだいぶ後になってしまいました。
まぁ下積みを重ねたからこそ、今があるわけですから良しとしましょう。

 

15-5.裏では案外やってる

サラッとお伝えしましたけど、自分の経験に価値があるということに気付いてからは、今までの無駄な時間の使い方を反省して行動を改めたんですよね。
教材を買ったりコンサルを受けたりしながら、なるべく最短ルートで突き進むことを心掛けました。

可能な限り時間を有効的に使い、失敗したら絶対に繰り返さないような対策を練り、成功率を限りなく高めていったのです。

 

こんな風に言ったらカッコよく見えてしまうかもしれませんが、ホンットにビジネスセンスが無かった僕は先生と会話している時にも、
「違いますよ。次にやることはこっちです」と何度も軌道修正されていましたし、彼女と話していても「そっちよりこっちの方が良くないかな?」と指摘されていました。

良質な情報とコンサルティング、そして言われたことをやるという素直な行動でなんとかやり切ったといった感じです。
僕の能力ではなく、関わってくださった人達の成果と言っても過言ではありませんね。

 

15-6.五万円の報酬を得た時の話

当時は会社務めしながら一生懸命やっていたので正直すごく大変でしたね。

そんな中で、僕的にめちゃくちゃ嬉しかったのは『初めて5万円の収益を出した時』です!

5万円じゃ独立なんて到底無理な金額ですけど、自分の力で5万円を稼ぐことの大変さを知っていた僕にとってはホントに大きな第一歩だったんです。
それに、5万円って月々プラスされる金額としては十分大きいじゃないですか。

これができると『会社員でも月に5万円稼いだ』という実績ができて、それを人にお伝えすることができますからね。
5万円の収益が確定したのを見て「今日は宴だー!!」と言って発泡酒を二缶飲んだのを今でも忘れません 笑

 

15-7.成果を出すたびに商品は増える

5万円だけではなく、10万円、20万円、100万円といったどの段階でもそうなのですが、実績をあげた分だけ自分の商品は増えていくのです。

これは言い換えると「実績をあげた分だけ世間から必要とされる」とも言い換えられます。

なんにも社会の役に立っていなかった自分が、困っている人を助けることができるようになるわけです。
これだけでもビジネスをやってきた甲斐があったと感じますね。

 

16.現在の生活

僕の言う成功とは数億円とかではないんですよ。
自分のやりたい仕事を「関わりたい」と思える人とだけ限定してやるそして理不尽なストレスから解放されればオッケーなんです。

僕はビジネスに対して「年商数百億になりたい!」というほどの向上心があるわけではないので、現在の生活でわりと満足していますね。
結果的に今では嫌な上司から解放されて、自分のやりたい仕事を選んでやっていけるわけですから本当に幸せなんですよ。

 

現在僕は彼女と結婚をして息子と3人で仲良く暮らしてます。
奥さんのことが大好きなのはもちろんですが、息子のことも好きすぎてたまりません!

毎日息子と遊ぶ時間を作ったり、一緒に出掛けたりしています。
ただ、奥さんから見ると少し度が過ぎるようで「それは甘やかしすぎ!」と注意されてしまいますけど 笑

母は施設に入ってはいますが、ちょくちょく顔を見に行っていますよ。
なんとかコミュニケーションは取れるので、息子の顔を見る度に喜んでいます。

施設の方々も凄く良くしてくださるので、以前より幸せそうに見えますね。

 

幸せというのは自分の価値観によって変わります。

人と比べてどうとかではなく、自分がどのレベルの生活を手に入れたいのかが大切なんです。

人と比較すると、いくら稼げてもその上の人間と比較し続ける人生になってしまうので、幸福度がどんどん下がってしまいますからね。

 

17.今後の予定

もともと全然社会から必要とされていなかった僕が、自分なりの幸せを手に入れることができたのは、間違いなくビジネスをやり始めたからです。

なので今では、過去の僕のように苦しんでいる人を助ける側に回りたいと考えて、人間関係や職場環境で悩んでいる人にビジネスをお伝えすることで、そこから脱出する手助けをしています。
このサイトもそのための手段として作ったわけですね。

 

今の時代、初心者がいきなり月100万円稼ぐというのは結構ハードルが高いので、まずは時給をアップさせるビジネスについてお伝えしていて、今の時給が1,000円ぐらいの人は、まずそれを10倍以上にすることを目指していきます。

やり方を知っていれば可能なんですよ。

 

これからも多くの人を手助けできるように、色々な人達と気持ち良く関わっていく人生を歩んでいこうと考えています。
なので、辛い時、現状から抜け出したい時にはお声掛けくださいね。

人生は自分の力で変えられますから!

めちゃくちゃ長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。

幸せを掴み取りましょうね。

これからもよろしくお願いします。

〜シゲル〜

 

 

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